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姓名判断基礎知識1

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運・運勢てなに?

ある大手会社のアフリカ駐在員の一人が、本社の重要な位置に就く内命が出て帰国することになりました。日本へ帰る彼を見送った同僚たちは、彼の幸をうらやんで、その帰途に一同やけ酒をあおり、身の不をなぐさめ合いました。

ところが、その翌朝幸なはずの彼の乗った航空機が墜落して乗客全員即死のニュースを知った同僚たちは、命の巡り合わせの恐ろしさに、身の毛のよだつ思いをしたということです。

人間のもって生まれた環境のよさ、優れた資質、日々のたゆまぬ努力、地位や名誉---それらを一挙にふっとばす恐ろしい力を持っているのがです。

また一方では、貧乏のどん底、肉体のハンディキャップ、世間の冷たいあしらい、それらの悪条件をすべて跳ね返して、我が世の春の喜びを味わうことができる強いを得た人も少なくありません。

人間の命とは天の与えるものであって、人間の力の及ぶものでない、というのが東洋の思想です。

古来、中国では易を天人の学といい、大宇宙と小宇宙、すなわち人生を一貫する道を明らかにする哲学として尊ばれてきました。易の一文字には、たやすい(容易)・変わる(変易)・変わらない(不易)の3つの意味が含まれています。

宇宙は刻々と変化しますし、人の生涯も刻々変わるものである、これが変易です。しかし、この転変してやまない宇宙の動きには変わらない法則があり、小宇宙である人間の命にも同じく法則がある、つまり不易です。こうした法則性があるために天地の道は知りやすく、従いやすい、すなわち容易であります。

易によって人は、その定まる命を知ることが出来るが、その定命に、ただ手をつかねて従っているより他はないのでしょうか。この定命に対して人は、何をなすべきでしょうか。

まず、自分の定命を動かす努力をしなければなりません。定命を少しでもよい方向へぶことです。という字は、車輪が回転して道路を進行することを表した文字です。つまり、とは定まって動かせないものではなくて、自力でぶことの出来るものです。

自分の体の制約、環境、条件の悪さにあきらめてしまうことなく、少しでも自力で良い方向に向けて動かしていくのがです。が悪いと泣くよりも、を良くするための努力---これが人間に対して神が命じられた務めです。

幸運と不運

とは車輪である、と字が教えていますが、車輪はすなわちクルマであり、人間はというクルマに乗って人生を進んでいくものです。

クルマもピンからキリまであって、ベンツのような高級外車もあれば、乗り潰されたポンコツ車も車には違いありません。人生のでこぼこな難路を走りぬくには、乗っている車のよしあしが結果に大きく影響します。

人生のデコボコな難路を走り抜くには、乗っているクルマのよしあしが結果に大きく影響します。

もし、人の名前がその人の一生に大きな影響を与えるものであるとすれば、ポンコツに乗るよりも、外見も美しく、しっかりしていて、故障もなく、少しばかりの事故にも耐えうるクルマを選びたいものです。

連日のように新聞に報じられている交通事故や災害、殺傷などの犯罪にかかわりをもった人の名前に凶名といわれる悪い名前が多いのは、単に偶然として見逃されるものではありません。

生まれてきた大切なわが子に少しでもよいを、と願うのであれば、優秀な、堅固な人生の乗り物であるの強い吉名を選んでつける努力をするのが、親心というものでありましょう。ただ人間の一生は、吉名をつけるのと凶名をつけるのとで差ができ、その人の人生が名前によって決定されるということはあり得ません。の強い名前をつけたから一生楽に幸せに暮らしていけるななどと、安易に考えてはダメです。

の強い名前をもつことによって、お子さんの将来に、その努力なり仕事なりが実を結びやすく、よい成果が上がりやすくなる---それが命の好転をもたらすのです。

世の中には、年中苦労して努力しても、なかなか効果が得られなくて苦しんでいる人がいます。世間の人からは「彼はツイてないんだ。が悪いんだ」と同情されますが、の強い名前をもつことによって、その苦労や努力が幸に直結する可能性が強くなることは、はっきり言えることです。

また、運の悪い名前を避けることによって、幼少時から病気や災難をまぬがれ、成長したのちも不慮の災禍や病気から逃れることができれば、その人生は幸であったと言えるでしょう。

自分が身をもって体験しない限りそれを知ることができないのが人間の悲しさで、不幸にあったことははっきり感じても、不幸から巧みに逃れることができたのは、よほどの場合以外には気がつかないものなのです。

高速道路を走っていたトラックから落ちた鉄材のために、下の道路を走っていた車がペシャンコになって、乗っていた人が死んだという事故がありましたが、もし、その車でなくあなたの車がそのときにその地点を走っていたとしたら---犠牲者はあなただったかもしれません。

出世することや金持ちになることばかりが幸ではなく、災難や病気からまぬがれて、無事に健康で日々を何ごともなく送ることができるのも、その人の気づかない大きな幸であることを忘れてはならないのです。

でも、もうついた名前があるのにこんなの調べてどうなるんだと、お思いの方もいるでしょう。それは、自分の車の特徴を知り性格を知って乗りこなすこと、いいかえれば自分の人生のでこぼこ道を安全に走り抜くためには、自分の持っているを知ることが重要なのです。

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なぜ運勢を画数で見分けるのか?

なぜ、名前の吉凶を判断する基礎として画数を重く見るのでしょうか。

中国の清代の学者の石涛(せきとう)は、その著『画語録』(かくごろく)の中で「一画は衆有の本にして万象の根なり」と、「一画の哲学」を次のように説いています。

「太古には人間は法則をもたず無為自然であったが、この純朴が失われたとき、法則が立てられた。それは、一画すなわち一本の線が『易』(えき)の一として描かれたことに始まる。『易』の一画は、あらゆる形の根本であり、形をもつすべての存在の根源である。それは霊妙不可思議な境地において働きを表し、人間に対してはそれを深く秘めて知らさない」

一画を基本とする易の八卦(はっけ)は、このように宇宙と人生のあらゆる事象を象徴し、あるいは陰となり、あるいは陽となる道の働きを表現します。

中国ではいまから数千年前、日常生活すべてのことを神や精霊に占って、その示すところに従って行動していました。

その方法は、牛などの肩の骨に穴を開けて、熱く焼いた青銅の火ばしを突っ込み、それによってできたヒビの形から吉凶を判断したといいますが、そのときボクッと音がして、トの形にヒビが入ったから「ト(ボク)」という字ができ、さらに「八」形に左石に開いた割れ目から「兆(キザシ)」という字ができた、と漢字の字源の研究家である故藤堂明保(とうどうあきやす)氏は説明しています。

これが、今日私たちが使っている漢字の原形となった「甲骨文字」(こうこつもじ)です。

漢字が古代中国の占いに示された形からできあがったものであり、単なる人間の作り出した記号ではなく、神秘なるものであることは、漢字学者の白川静(しらかしずか)氏が「古代人が文宇を作って後世に伝えた目的は、言葉のもつ呪の力を吸収し、定着し、持続するためのものであった」と言われ、故貝塚茂樹(かいづかしげき)博士が、「漢字は神の意思を伝達する神聖なる文字として発生した」と説かれていることによってもわかります。

漢字の画数は、易に用いる筮竹(ぜいちく)と同じく、神意の表現を示すものであるということは、前にあげた石涛の「一画の哲学」の説にも明らかにされているところです。

数が神の示すものであることは、東洋だけでなく西欧でもそれを唱える人がいました。美学史上有名な十三世紀の思想家ニコラウス・クザーヌスは、その著『無知の知』の中で、「神は算術と幾何学と音楽と天文学とをもって宇宙を創造した」と言い、「そして一切の秩序は数、重さ、尺度による」と説いています。

さらにさかのぼってギリシアの哲学者ピタゴラスは、「人間のすべての基本は数である」と、人間が数を基礎として生きていることを教えています。

漢字に表された名前の吉凶を判断する場合、最も重要なのはその名前の表す画数であることは、これによってわかると思います。

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